アメリカ編~第77日目

1月12日(金)

バージニア州の州都、リッチモンドへ行く。

車でノーフォークから2時間ほど。金曜日の朝だがすいすいと進む。

アメリカ最大の都市がニューヨークであっても首都がワシントンDCであるように、リッチモンドも州都ではあっても最大の都市というわけではない。ただ、アメリカが合衆国と連合国(Confederate States of America:以下南部連合と称する)に分かれて内戦となった南北戦争において、南部連合の首都となった。合衆国の首都は引き続きワシントンDCだったから、現代であれば車で3時間ほどの距離で対峙しつつ数十万人の死者を出す、4年間もの内戦を戦ったのである。

最初に訪れたのはCapitol(議事堂)。独立戦争を記念する銅像がある。

ひときわ目立つこの建物は旧市役所とのこと。

州議会議事堂。テキサス・オースティンのCapitolとはまた趣が違う、ギリシャ建築風だ。

ikujyoujieitai.hatenablog.jp

なんでもこちらはトマス・ジェファーソンの設計によるものなのだそうだ。アメリカ合衆国大統領・副大統領・初代国務長官バージニア州知事、独立宣言起草者であり建国の父であるのみならず建物まで設計しちゃう。なお、ワシントンDCやオースティンの議事堂にあるようなドームがないように見えるが、実は屋根の内側にある。

オースティンの議事堂と同様、地下の拡張工事を行い、実際の入り口は議事堂のある丘の手前に設けられている。上の模型だと手前の道路でバスのような車両がおかれているあたりが入り口だ。元米陸軍士官だというガイドの案内に従い見ていく。金曜日であり州議会が開催されているため活気がある。議事堂内で見かける子供たちは州内の小学生が参加できるボランティアなのだそうだ。ここから政治の世界へのチケットをつかむ子供たちもいるのだろう。

応接室を見ていく。これは独立戦争最後の戦いとなったヨークタウンの戦いの絵画。かなりアレンジされていて、イギリス軍指揮官のコーンウォリス将軍が分かりやすく戦意を喪失している。

ジェファーソンの大きな肖像。ほかにも銅像がいくつかある。バージニア州は初代大統領のワシントン、3代目のジェファーソンをはじめ、46人の大統領のうち8人を輩出しており、まぁ山口県みたいなもんだな。もっとも、最初のころは13州しかなく、バージニア植民地が中心だったからしょうがない。他に有名どころではモンロー・ドクトリンジェームズ・モンロー日露戦争第一次世界大戦時のウッドロー・ウィルソンがいるが、ウィルソン以降は出ていない(ここ100年くらい出してない)。ちなみにバイデン大統領の出身地はペンシルバニアだそうだ。

下院。休憩に入ったのか?人がぞろぞろ出てくる。日本でも県議会に行けばこれくらいの距離間で県議に会えるものなのだろうか。会ってもしょうがないが。

続いてバージニア美術館(Virginia Museum of Fine Arts)へ。ここでもガイドの方に案内していただく。

アフリカの美術品コレクション。

西洋肖像画のコーナーに混じって注目せずにはいられない、ジャージ着たあんちゃん。

ちょっと由来は調べ損ねた、仏像。

チェコ人も一緒だったので、アルフォンス・ミュシャ

立体物でも、アニメに出てきそうだな…と思ったらミュシャ

馬コーナー。馬刺しの話はやめよう。

この…何?アレっぽいのはわざとなんだろうか。

単純にす、好き~~~~~ってなっちゃった。

美術館のカフェで昼食。ナスバーガーがおいしい。韓国組は私より若干若いのだが、「ドラゴン桜」が好きだったそう。「長澤まさみがかわいくて…」分かるよ。戦国時代も興味があるらしいから真田丸を勧めたいのだがハングルで見る方法あるのかしら。

同行しているアメリカ人と一緒に、物価高の話になる。コロナ禍でインフレが進行したのはどこの国も同じだが、ロシアのウクライナ侵攻に伴う原油高の影響はアメリカはあんまり感じてないみたい。物価高がもともと進行していたからか、自国で石油の出る強みか。もっとも、アメリカ人はその分給料は上がっているそうだ。「数値的には8%上がったけど」というから、実質は天引きされるやつか?と思ったら、「いろいろついて実質12%上がったの!イェーイ!」とのこと。


午後は南北戦争博物館。先に述べた通りここは南部連合の本拠地であり、戦争末期には進軍してきた北軍により焼かれ、甚大な被害を出した。

博物館はもともと製鉄所で、工業力に劣る南部連合では貴重な存在だった。この大砲もここで製造されたもの。

自分も知らなかったが、南部連合の国旗はこの左側。よく知られている、赤地に青の×の旗は軍旗。

すでに述べた通り、南北戦争はおびただしい犠牲を双方に生じさせた。

南北戦争中の奴隷解放宣言、そして北軍の勝利を通じても、人種差別が無くなったわけではない。写真は有名な白人至上主義団体、クー・クラックス・クランの服装だ。

南北戦争と人種差別の問題は切り離せない。実は今回は職場の歴史に詳しいアメリカ人も同行してもらっていたのだが、やはり南北戦争の原因は「100%奴隷制をめぐる対立」だった。特に強調していたのは、南北戦争後の「Sons of Confederate Veterans(南部連合退役軍人の息子たち)」や、「United Daughters of the Confederacy(南部連合の娘たち連合)」によるキャンペーンで、南部連合奴隷制維持のために戦ったのではないという主張や、南部連合将兵の顕彰などにより、一種の歴史修正主義的影響工作を行った。この結果、南部連合の将軍にちなむ駐屯地や兵器の命名が特に19世紀末から20世紀初頭にかけて行われた。

しかし、南軍の再評価は時に人種差別や白人至上主義と関連していた。南部連合の旗も、実際のところ極右や差別主義者のシンボルとして使われたのが実態だった。2020年、ジョージ・フロイドの事件にともなういわゆるブラック・ライブス・マター運動の中で、各地にある南軍を顕彰した銅像が撤去されたり、南軍にちなむ命名が改名された(横須賀を事実上の母港とするイージス巡洋艦チャンセラーズ・ビルも、南軍が勝利した古戦場の名前であることから黒人の海軍軍人にちなむロバート・スモールズに改名されている)。実は、オースティンの議事堂にも南軍の指揮を執った著名なロバート・E・リーの銅像があったのだが撤去されている。日本ではそこまでするか、というのが正直な反応だったと思う(自分も含めて)。しかし、そもそも南軍に対する顕彰がおかしい、あるいは行き過ぎだったというべきではないかというのが同行していたアメリカ人の見解だった。関係者が存命していた当時はそれなりに(国家再統合という観点で)必要だったかもしれないが、現代では残念ながら前述したような危険思想のシンボルになってしまっている。

先日も触れた、ハンプトン・ローズ海戦で有名な南軍の装甲艦、CSSバージニアの錨。

帰りはハンプトンからのフォークへ抜けるトンネルですさまじい渋滞。帰るころにはへとへとになってしまった。連れて行ってくれたスタッフの皆さん、ありがとうございました。