再開するぞ・バージニアの軍用機博物館

更新が止まってしまってすみません。

もはや今年1月のことなんて記憶のかなたなんで、写真を見つつ主要なイベントをとりあえず記録しておきます。

バージニアビーチ市を南に下った郊外にMilitary Aviation Museumという私設博物館があり、1月下旬にスポンサーさんの案内で訪れた。

www.militaryaviationmuseum.org

なぜか入り口には恐竜の大型模型が展示されており、ジュラシックパークみがある。

プテラノドン

パキケファロサウルスとアンキロサウルス

首長竜と、向こう岸にはブラキオサウルス

君は違うやろ。

メインの建物のほかに第1次世界大戦の期待を中心に集めた別館、バトル・オブ・ブリテンにおけるイギリス空軍基地を再現(移設)した建物、第2次大戦の試作機などを納めた倉庫があり、ガイドの案内を受けて見て回る。

ガイドの人。

確か米海軍の機体。自転車に巨大な翼がついたような簡素な構造。

戦闘機基地の指揮所。イギリスから移設してきた本物!

通信機器など。

C-46の手前にあるのはMe-263?近くで見たかった…

ドイツの秘密兵器その2、リピッシュP.13a。これ本当に飛ぶの??

経営者のドイツ趣味がうかがえる88mm砲。ドイツアフリカ軍団のマーク入り。

水陸両用。こうして見ると普通だが…

車体の下にプロペラ。

プロペラ艦載機の最高傑作のひとつ、A-1スカイレイダー。でかい。

PBYカタリナ飛行艇。残念ながら修理中。

手前はFM-2ワイルドキャット。場所が狭くてうまく撮れないが、PBYカタリナは魅力的なフォルムをしている。

ドイツの使用した世界初の巡航ミサイル、V-1。

ソ連戦闘機MiG-3。

イギリス軍の空挺バイク。上の円筒状のコンテナに折りたたんで格納される。

第2次大戦時のシミュレーター。操縦かんを動かすと機体の姿勢が変わるようになっており、基本的な操作を体感的に会得することができる。

年に1回飛行展示も行っているそうで、是非ドイツの珍兵器を飛ばしてほしい。

アメリカ編~85日目、86日目

1月20日(土)、21日(日)

土曜日。(自分のではなく)チェコ人のスポンサーに「知り合いのバンドがやるから」と誘われる。サンアントニオでも感じたが、相変わらず陽気な人たちである。

話は正直しづらい。何せ聞き取りにハンディキャップを抱えているのでちょっと…

日曜日。ノーフォークのアウトレットモールへ。

https://www.premiumoutlets.com/outlet/norfolk

サンアントニオの近くにもバカでかいプレミアムアウトレットあったけど、いやこれくらいでいいんですよ。

撮ってた唯一の写真がこれ。思想の強そうな服屋。

夜は再びチェコ人のスポンサーに連れられ、ノーフォークウォーターフロントにあるでっかいスポーツバー的なところに行く。

この時期の米国と言えばアメフト一色である。スポンサーさんはサンフランシスコの生まれのため、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズが贔屓だそうだ。なぜ49’sかというとゴールドラッシュが1849年だったから。

解説してもらって、アメフトのルールが3mmくらい分かる。こうやって位置について、よーい、どん!みたいなのを何回も繰り返すわけだ。面白さはまだ分かりません。

アメリカ編~84日目

1月19日(金)。

朝から乗り合わせてバージニア州ヨークタウンに行く。ノーフォークから車で1時間あまりの小さな町だ。軍艦オタクには第2次世界大戦時の空母やタイコンデロガ級イージス巡洋艦の艦名として知られているが、小さな町が重要な艦の名前に採用されたのは、ヨークタウンの戦いにおけるアメリ大陸軍の勝利が、独立戦争を事実上終結させたからだった。

いずれも歴史を感じさせる建物に囲まれ、ヨーク川を望む場所に戦勝記念碑が建っている。

当時からの家には今でも壁に砲弾がめり込んでいる。

戦い自体は、多くの戦闘がそうであるように戦場に着くまでに決していた感もある。バージニアで孤立していたイギリス軍の指揮官・コーンウォリス将軍の部隊を捕捉しようと、フランスのロシャンボー将軍、アメリカのワシントン将軍は部隊を南下させ、ヨークタウンでコーンウォリスの部隊を追い詰め、包囲した。兵力差は2倍以上だった。

ビジターセンター。

ワシントンが使用していたという指揮所のテント。

当時の軍艦の展示もある。ヨークタウンでコーンウォリスが孤立してしまうことになったのは、チェサピーク湾海戦でド・グラース率いるフランス艦隊がイギリス艦隊を破り、周辺の海上優勢を確立したから。よく知られている通り、アメリカ独立戦争でのフランスの貢献は大きい。

再び野外に戻る。米仏軍の攻撃発起位置は野外に保存されている。手前のは臼砲、奥に見えるのは大砲だ。

この埋め込まれた木材は当時もこのようにしていたのだろうか、それとも保存用だろうか。

地形を利用した、簡単な塹壕がある。

Redoubt(堡塁)。これは防御するイギリス側が作ったもので、ヨークタウンの街の外縁に複数個所設けられている。それぞれの堡塁に100人以上が配置され、ヨークタウンの街を目指すアメリカ軍と激しい戦いを繰り広げた。

戦いの後、コーンウォリスは降伏して捕虜となる。イギリス軍はまだニューヨークを含め兵力を残していたが、本国で首相が辞任し、和平交渉につながった。

アメリカ編~第80日目

1月15日(月)

MLK(マーチン・ルーサー・キング)デーでおやすみ。キング牧師の誕生日にちなむ連邦休日だが、たとえばアラバマでは南部連合の将軍ロバート・E・リーにちなんでリー/キング・デーだったりするそうだ。黒人の権利のために戦ったキング牧師奴隷制維持のために戦ったリーと並べられるのはいろんな政治的思惑が感じられてすごい。

せっかくなので、近く(ニューポートニューズ)の海洋博物館にチェコ人と行ってみた。Mariners Museumとして世界初の装甲艦同士の戦い、ハンプトン・ローズ海戦が中心になっている。

www.marinersmuseum.org

灯台のライト。明るい室内ではおぼろげだが、夜にはこれが遠くまで海の上を照らすのだろう。

帆船のフィギュアヘッド。

USSモニターの主砲の一つ。

合衆国(北軍フリゲートのメリマック。バージニアの造船所で本艦を鹵獲した南部連合が装甲艦に改造して再就役させたのがCSSバージニアである。

ja.wikipedia.org

改装工事を再現した実物大展示。艦内のスケール感も含め分かりやすくてよい。

実際のところ、木材に鉄板を貼ったようなものだったんだなあ。

艦長寝室。艦長でもいかにも艦内という感じ。

確かバージニアの舵輪。

引き揚げられたモニターの砲塔の再現模型。まさにトーチカだ。バージニアが舷側に法を備えていたのに対し、モニターは旋回式の砲塔を備えた。

ja.wikipedia.org

俯仰機構を備えている。

外にはモニターの実物大レプリカがある。形も大きさも、Uボート(世界大戦時のドイツ潜水艦)くらいのイメージだろうか。

こちらは館内にある砲塔の再現。重い砲塔を旋回させる機構がよく分かる。

スクリュー。

モニターの推進システムの解説。

実際の引き揚げられた砲塔は水没状態で保管・調査されている。

海洋博物館ということで、モニターだけが展示ではない。続いて世界各国の小舟艇を集めた展示だが、これが思いのほか面白かった(受付のおばちゃんも一押し)。

中国・上海で使われていた小舟。これもサンパンとのこと。

アメリカ製の豪華な交通艇「Simokon」。

どの船も個性があって面白いし、美しい。

イタリア・ヴェニスのゴンドラ。こんな色してるの?

深海探査船「タートル」の耐圧船体部分!

ヒューゴ・ヴィーレンという船乗りが1963年にこの長さわずか6フィート(2m)の「エイプリル・フール」で85日かけて大西洋を横断したという。狂気。

手すりが重なってしまっているが、イタリアが第2次世界大戦で使用した「人間魚雷」もある。人間魚雷と言ってもイタリアの場合は左に見えるドーム部分で操縦し、潜水工作などに使用した。日本には本物の人間魚雷である特攻兵器「回天」があってぇ…という話をチェコ人にしたら「知ってる」とのこと。

モーターボート。美しい。

現代のスピードレースで使用されるヨット。

知識はないが、単純に見て楽しかった。

模型コーナーもある。ここはほとんどすべて民間船だ。

のぞけるようになっている工房。Amazonの段ボールで何が届いたのかしら。

戦前の日本商船。もちろんどちらも戦時中に米潜水艦に撃沈されている。

初期の外輪船だと思うが、船に乗せるとは思えないサイズと機構だ。

アメリカの博物館ではおなじみ、体験学習コーナーもある。

この部屋は大航海時代がテーマ。

米海軍コーナーもちゃんとある。

空母レキシントン。煙突がすごい。なんというかシンプルな艤装である。

潜水艦の発令所の再現?かなり古い器材だとは思う。

こちらにもカタマラン式ヨットの展示があった。全体として見るとでかい!これがほとんど船体が浮き上がって走るのだから、飛行艇やWIGみたいなもんである。BMWタグホイヤーと並んでヤマハの広告も入っていた。

ハンプトン・ローズ海戦だけでなく、海運や船に関する様々な展示が楽しめた。あいにくの天気だったが野外散策用のコースもあり、1日楽しめそうである。

アメリカ編~第78~79日目

1月13日(土)~14日(日)

土曜日はごろごろして終了。

日曜日はスポンサーさんのお宅にお呼ばれした。お話を伺いながら鮭にソースを塗り、スパイスをまぶしていくスポンサーさん。クラシックカー(1930年製のフォード!)とM1カービンの整備、そして料理がご趣味とのこと。ワンちゃんも飼っておられるのだが既に17歳で、残された時間を楽しんで過ごそうと思うとのこと。

前日分の日記でイージス巡洋艦の旧チャンセラーズ・ビル、現ロバート・スモールズのことを書いたが、スポンサーさんは同艦を含め、3隻の艦長を務められた。

お肉、サーモン、トウモロコシ、スイートポテト、ブロッコリーをいただく。おいしい。スポンサーさんともともと知り合いの先輩とそのご家族も呼ばれてきており、かわいらしい子供たちに癒された。

 

今週に入って仕事が忙しいので、ちょっと更新が不定期になりがちです。ごめんなさい。

アメリカ編~第77日目

1月12日(金)

バージニア州の州都、リッチモンドへ行く。

車でノーフォークから2時間ほど。金曜日の朝だがすいすいと進む。

アメリカ最大の都市がニューヨークであっても首都がワシントンDCであるように、リッチモンドも州都ではあっても最大の都市というわけではない。ただ、アメリカが合衆国と連合国(Confederate States of America:以下南部連合と称する)に分かれて内戦となった南北戦争において、南部連合の首都となった。合衆国の首都は引き続きワシントンDCだったから、現代であれば車で3時間ほどの距離で対峙しつつ数十万人の死者を出す、4年間もの内戦を戦ったのである。

最初に訪れたのはCapitol(議事堂)。独立戦争を記念する銅像がある。

ひときわ目立つこの建物は旧市役所とのこと。

州議会議事堂。テキサス・オースティンのCapitolとはまた趣が違う、ギリシャ建築風だ。

ikujyoujieitai.hatenablog.jp

なんでもこちらはトマス・ジェファーソンの設計によるものなのだそうだ。アメリカ合衆国大統領・副大統領・初代国務長官バージニア州知事、独立宣言起草者であり建国の父であるのみならず建物まで設計しちゃう。なお、ワシントンDCやオースティンの議事堂にあるようなドームがないように見えるが、実は屋根の内側にある。

オースティンの議事堂と同様、地下の拡張工事を行い、実際の入り口は議事堂のある丘の手前に設けられている。上の模型だと手前の道路でバスのような車両がおかれているあたりが入り口だ。元米陸軍士官だというガイドの案内に従い見ていく。金曜日であり州議会が開催されているため活気がある。議事堂内で見かける子供たちは州内の小学生が参加できるボランティアなのだそうだ。ここから政治の世界へのチケットをつかむ子供たちもいるのだろう。

応接室を見ていく。これは独立戦争最後の戦いとなったヨークタウンの戦いの絵画。かなりアレンジされていて、イギリス軍指揮官のコーンウォリス将軍が分かりやすく戦意を喪失している。

ジェファーソンの大きな肖像。ほかにも銅像がいくつかある。バージニア州は初代大統領のワシントン、3代目のジェファーソンをはじめ、46人の大統領のうち8人を輩出しており、まぁ山口県みたいなもんだな。もっとも、最初のころは13州しかなく、バージニア植民地が中心だったからしょうがない。他に有名どころではモンロー・ドクトリンジェームズ・モンロー日露戦争第一次世界大戦時のウッドロー・ウィルソンがいるが、ウィルソン以降は出ていない(ここ100年くらい出してない)。ちなみにバイデン大統領の出身地はペンシルバニアだそうだ。

下院。休憩に入ったのか?人がぞろぞろ出てくる。日本でも県議会に行けばこれくらいの距離間で県議に会えるものなのだろうか。会ってもしょうがないが。

続いてバージニア美術館(Virginia Museum of Fine Arts)へ。ここでもガイドの方に案内していただく。

アフリカの美術品コレクション。

西洋肖像画のコーナーに混じって注目せずにはいられない、ジャージ着たあんちゃん。

ちょっと由来は調べ損ねた、仏像。

チェコ人も一緒だったので、アルフォンス・ミュシャ

立体物でも、アニメに出てきそうだな…と思ったらミュシャ

馬コーナー。馬刺しの話はやめよう。

この…何?アレっぽいのはわざとなんだろうか。

単純にす、好き~~~~~ってなっちゃった。

美術館のカフェで昼食。ナスバーガーがおいしい。韓国組は私より若干若いのだが、「ドラゴン桜」が好きだったそう。「長澤まさみがかわいくて…」分かるよ。戦国時代も興味があるらしいから真田丸を勧めたいのだがハングルで見る方法あるのかしら。

同行しているアメリカ人と一緒に、物価高の話になる。コロナ禍でインフレが進行したのはどこの国も同じだが、ロシアのウクライナ侵攻に伴う原油高の影響はアメリカはあんまり感じてないみたい。物価高がもともと進行していたからか、自国で石油の出る強みか。もっとも、アメリカ人はその分給料は上がっているそうだ。「数値的には8%上がったけど」というから、実質は天引きされるやつか?と思ったら、「いろいろついて実質12%上がったの!イェーイ!」とのこと。


午後は南北戦争博物館。先に述べた通りここは南部連合の本拠地であり、戦争末期には進軍してきた北軍により焼かれ、甚大な被害を出した。

博物館はもともと製鉄所で、工業力に劣る南部連合では貴重な存在だった。この大砲もここで製造されたもの。

自分も知らなかったが、南部連合の国旗はこの左側。よく知られている、赤地に青の×の旗は軍旗。

すでに述べた通り、南北戦争はおびただしい犠牲を双方に生じさせた。

南北戦争中の奴隷解放宣言、そして北軍の勝利を通じても、人種差別が無くなったわけではない。写真は有名な白人至上主義団体、クー・クラックス・クランの服装だ。

南北戦争と人種差別の問題は切り離せない。実は今回は職場の歴史に詳しいアメリカ人も同行してもらっていたのだが、やはり南北戦争の原因は「100%奴隷制をめぐる対立」だった。特に強調していたのは、南北戦争後の「Sons of Confederate Veterans(南部連合退役軍人の息子たち)」や、「United Daughters of the Confederacy(南部連合の娘たち連合)」によるキャンペーンで、南部連合奴隷制維持のために戦ったのではないという主張や、南部連合将兵の顕彰などにより、一種の歴史修正主義的影響工作を行った。この結果、南部連合の将軍にちなむ駐屯地や兵器の命名が特に19世紀末から20世紀初頭にかけて行われた。

しかし、南軍の再評価は時に人種差別や白人至上主義と関連していた。南部連合の旗も、実際のところ極右や差別主義者のシンボルとして使われたのが実態だった。2020年、ジョージ・フロイドの事件にともなういわゆるブラック・ライブス・マター運動の中で、各地にある南軍を顕彰した銅像が撤去されたり、南軍にちなむ命名が改名された(横須賀を事実上の母港とするイージス巡洋艦チャンセラーズ・ビルも、南軍が勝利した古戦場の名前であることから黒人の海軍軍人にちなむロバート・スモールズに改名されている)。実は、オースティンの議事堂にも南軍の指揮を執った著名なロバート・E・リーの銅像があったのだが撤去されている。日本ではそこまでするか、というのが正直な反応だったと思う(自分も含めて)。しかし、そもそも南軍に対する顕彰がおかしい、あるいは行き過ぎだったというべきではないかというのが同行していたアメリカ人の見解だった。関係者が存命していた当時はそれなりに(国家再統合という観点で)必要だったかもしれないが、現代では残念ながら前述したような危険思想のシンボルになってしまっている。

先日も触れた、ハンプトン・ローズ海戦で有名な南軍の装甲艦、CSSバージニアの錨。

帰りはハンプトンからのフォークへ抜けるトンネルですさまじい渋滞。帰るころにはへとへとになってしまった。連れて行ってくれたスタッフの皆さん、ありがとうございました。

アメリカ編~76日目

1月11日(木)

導入教育終わり。

よく言われるように、アメリカ式の授業では黙っているのはよくない。質問されたときはもとより、積極的に講師の言ってることに反応したり割って入る方が、こちらとしても理解が進む。うまく言えなくて聞き返されるのが一番つらいが。

夕方からは夕食会。ノーフォークダウンタウンへ。銃犯罪も珍しくない地区と高級住宅街が道路一本で隔てられているような話を聞く。

今夜は米国外から来てる組とスポンサー及び勤務先の偉い人たちとの会食だ。先日NASAのビジターセンターを案内してくれた私のスポンサーは所用で来られないとのことで、自分のテーブルは勤務先のNo.2と親会社のNo.2となった。親会社のNo.2はMs.の代わりにAmbassadorと呼ばれていた。あんまりプロトコルには詳しくないのだが、退役将官がその後もAdmiralやGeneralと呼ばれるように、大使経験者はずっとAmbassadorと呼ばれるのだろう。ちなみにWikipedia調べたらページがあった。

en.wikipedia.org

さて、そういう偉い人を相手に2時間話題を持たせなければならなかった。それも英語で、だ。とはいえ、外国人だから多少は許されるだろう。

・この近くにマッカーサー記念館あるよね、という話題では「陸軍士官学校校長の時にお母さんと一緒に住んでたとかドン引きですよね」などと他国の英雄的軍人を嘲弄(あんな立派な建物で大統領気取りかよ、との同意のコメントをいただいた)

・「アメリカの二大政党制って昔はいいなーって思ってたけど最近の色々を見ると全然羨ましくないです(笑)」などと他国の政治を愚弄(具体的に何を心配してるの、と聞かれたが、この大使トランプ政権下で任命されてるんだよなと思い、「トランプ・カミングバックです」とは言えなかった)

・「いろいろ国際関係や戦略理論を勉強しましたが、上司が話を聞いてくれないことも多いんですよね」などと上司を愚弄

するなどしていた。こういう時に話術を駆使してコネクションを作れる人が出世するんだろうな、などと思いつつ、お食事と会話を楽しみました。これもまたお仕事。