アメリカ編~84日目

1月19日(金)。

朝から乗り合わせてバージニア州ヨークタウンに行く。ノーフォークから車で1時間あまりの小さな町だ。軍艦オタクには第2次世界大戦時の空母やタイコンデロガ級イージス巡洋艦の艦名として知られているが、小さな町が重要な艦の名前に採用されたのは、ヨークタウンの戦いにおけるアメリ大陸軍の勝利が、独立戦争を事実上終結させたからだった。

いずれも歴史を感じさせる建物に囲まれ、ヨーク川を望む場所に戦勝記念碑が建っている。

当時からの家には今でも壁に砲弾がめり込んでいる。

戦い自体は、多くの戦闘がそうであるように戦場に着くまでに決していた感もある。バージニアで孤立していたイギリス軍の指揮官・コーンウォリス将軍の部隊を捕捉しようと、フランスのロシャンボー将軍、アメリカのワシントン将軍は部隊を南下させ、ヨークタウンでコーンウォリスの部隊を追い詰め、包囲した。兵力差は2倍以上だった。

ビジターセンター。

ワシントンが使用していたという指揮所のテント。

当時の軍艦の展示もある。ヨークタウンでコーンウォリスが孤立してしまうことになったのは、チェサピーク湾海戦でド・グラース率いるフランス艦隊がイギリス艦隊を破り、周辺の海上優勢を確立したから。よく知られている通り、アメリカ独立戦争でのフランスの貢献は大きい。

再び野外に戻る。米仏軍の攻撃発起位置は野外に保存されている。手前のは臼砲、奥に見えるのは大砲だ。

この埋め込まれた木材は当時もこのようにしていたのだろうか、それとも保存用だろうか。

地形を利用した、簡単な塹壕がある。

Redoubt(堡塁)。これは防御するイギリス側が作ったもので、ヨークタウンの街の外縁に複数個所設けられている。それぞれの堡塁に100人以上が配置され、ヨークタウンの街を目指すアメリカ軍と激しい戦いを繰り広げた。

戦いの後、コーンウォリスは降伏して捕虜となる。イギリス軍はまだニューヨークを含め兵力を残していたが、本国で首相が辞任し、和平交渉につながった。