1月8日(月)
今日から新しい職場が始まった。といっても今週は導入教育なのだけど。
先週顔を合わせたチェコ人・韓国人のほかに、アメリカ人が多数。今回はサンアントニオの職場と違ってアメリカ人が多い。
問題は食事だ。近くにある食堂はあんまりヘルシーそうなメニューがない。ちょっと歩くけどサブウェイに行くしかないのかなあ。
1月7日(日)
こちらでの受け入れを支援してくださる方(スポンサーと呼ばれる)にお誘いいただき、隣町のハンプトンにあるNASAラングレー研究所のビジター・センターに行ってきた。ラングレー研究所は空軍のラングレー基地に隣接しており、1917年に設立された、NASAの最初の研究施設だ。今も航空・宇宙関連の研究や訓練に使用されている。
最初にIMAXで40分の映画を見る。水中の洞窟に潜って太古の大気をサンプリングし、温暖化について研究するという内容だった。ちなみに建物への入場自体は無料で、この映画が20ドル弱する。
NASAの前身は、航空技術の研究を行ったNACAである。これは初期の空洞実験設備。
プロペラ。扇子の根元のような形をしている。
中距離核ミサイルのパーシング2。本ミサイルはソ連のSS-20と合わせて非常に有名である。欧州に米ソの中距離核戦力(INF)が配備されたことは、米ソの本土を巻き込まない形で核使用ができるのではないか、ひいては核使用のハードルが低くなるのではないかとの議論を巻き起こした。米国はソ連によるSS-20の配備に対してこのパーシング2を欧州に配備して対抗するとともに、核軍縮協議を開始するという「二重決定」を行い、最終的にINF全廃条約によってこの種の兵器は禁止された。近年になって、ロシアの開発したミサイルの一部がINF条約に違反しているのではないかという疑惑のある中、トランプ政権がINF条約の破棄を決定。かつて軍備管理の成功例とされたINF全廃条約は2019年に失効した。
館内には航空機も多数展示されている。これは英国製の垂直離着陸機ハリアー。…かと思ったら、試験機のケストレルですって。
朝鮮戦争などで使われた初期のジェット戦闘機、F-84Gサンダーストリーク。
ここにある中でも特に貴重なのが、実際に月軌道上から帰ってきたアポロ12号のカプセル。全体的に焼けただれているが、中華鍋みたいになっているシールド底面が鏡で見られるようになっている。
マーキュリー14号。空力テストで使われて宇宙には行っていないとのこと。
ジェミニの実験用カプセル。やはり何度見ても小さい。
ラングレーでは、アポロ着陸船の月面着陸訓練が行われた。これはその際に使用する巨大なクレーン。
個人的に面白かったのはこのトイレみたいなのがついた、練習用のアポロ着陸船。
火星着陸を果たしたバイキング2号の地上モデル。
2004年から14年間にわたって火星の探査を行ったオポチュニティの地上モデル。
なんだっけ…
ここにも次期宇宙船のオリオンが展示されている。アポロなんかを見た後だと確かに広く感じる。NASAとしては今後の野心的な宇宙計画への理解を得ようと力を入れているのだろう。
飛行機いろいろ。
ロナルド・レーガン。空母は長期間にわたって就役するが、搭載機でおおよその(想定している)年代が分かる。F-14はいなくてA-6系がいるという、2000年代後半~10年代前半くらいのかんじ。
パイパー・カブとステアマン練習機
ライト兄弟による史上初の動力飛行機、ライトフライヤーの複製。ちなみに彼らが初飛行を行ったノースカロライナ州キティホークもここから1時間ほど。後ろには旅客機のDC-9。
F-106デルタダートとF-16の試作型YF-16。
屋上からはまわりが見渡せるようになっている。ハンプトンは歴史ある街で、イギリスが初期に植民した地であり、のちに解放奴隷の街になった。今でも黒人が多く住んでおり、ビジターセンターのあるあたりでは音楽イベントがよく開催されるそうだ。
1月6日(土)
金曜の夜から、ナデシコ後半を一気見。
「やっぱ後半いいんだよなァ…やっぱ傑作だなァ…」と感動していたのは自分だけで、残り2人は「快作」「もうちょっと伸びたかもしれない佳作」という評価であり、結局ただの思い出補正なのかもしれないという結論に至った。いいじゃないの、それで…
1月2日(火)~5日(金)
VIVANT総集編第1部を見る。そんな怪しい案件に強気で親身な大使おらんやろ…と思ったら本当にいなくて笑ってしまった。モンゴル国境警備隊のBTR装甲車が出てくるところまでである。
あと、鎌倉殿の13人を1話から見直している。結局どうする家康はほとんど見てなくて、ただただ鎌倉殿を思い出して懐かしくなってしまう。
自分の心をどうにも動揺させるのは能登の震災だ。被害がどんどん明らかになっていることもさることながら、被災地で生き埋めや火災、いわゆる関連死などで今この瞬間に生きている人が死んでいくのをなすすべもなく見るしかないことに、多くの人が歯がゆく思っているのだと思う。そこで対応が遅いとか、自衛隊の出し惜しみだとかいう話が出てくる。ここでは論じないがもちろん行政は最大限の対応を行っていると思う。そりゃそうだ。一方で歯がゆく思う人の気持ちもわからないことはないのである。
3日からは新しい職場のオリエンテーションが始まった。IDカードや銀行口座、管理事項の伝達などである。今回はアメリカ人のほかに韓国人とチェコ人の同僚がいる。震災やJAL・海保機の事故の話を振られたらどう答えるか考えていたものの、結局一度アメリカ人同僚からJAL機の話を振られただけだった。地震よりも民航機の事故の方が身近に受け止められる、ということかもしれない。もちろん、自分が世界中の災害や事故に常にショックを受けているわけもないので、ここに非難する意図はない。
一方で、前の職場のウクライナ人とクウェート人からは新年のあいさつに合わせて心配するメッセージが届いた。これはありがたい。しっかりと自分のするべきことをしよう、という気持ちになった。
Chille’sでステーキを食べて、今週はおしまい。来週から新しい職場が始まる。
12月31日(日)
朝から起きて紅白を見る。浜辺美波かわいいな。あとアイドルよかったです。あとは流し見。なんだかんだで紅白はけっこう毎年見ている自分に、年を取ったのかなと思う。
年越しそば代わりのチャウメン。パンダエクスプレスにある、あの焼きそばみたいなやつである。
説明によれば湯切りの工程はなく、お湯の量を間違えたっぽい。これはこれでそばっぽくなった気がする。これは年越しそばなんだ、誰が何と言おうと年越しそばなんだ。
友人に言われて、そうだ東海岸の初日の出を見に行こうと思い立つ。年越しの瞬間に軍港の船から汽笛が聞こえるとか、誰かが外で騒いでるとかそういうものはなく、静かな年越しだった。
で、夜更かししてたら地震ですよ。長男が京都で泣いているそうで辛かった。