アメリカ編~第29日目(中)

続き。

5インチ砲の中に入ってみる。テッポウ用語は詳しくないのだが、揚弾機で合ってるのかしら。砲塔内に砲弾を上げてくるやつ。

近すぎてわからん。砲弾を装填する部分。

2つ並んだ砲の左側に照準器がある。それが耳みたいに砲塔から飛び出てるってわけ。

艦橋構造物(Superstructure)を艦尾側から見る。飛行甲板幅を確保するために細い。アンテナマストも含めて非常にシンプルに見えるが、やはり電子装備が簡素だからだろうか。

艦橋構造物を上る。海図室に航海用具が展示されている。

名古屋港の「ふじ」にある艦長休憩室に近いかな。近年の艦艇ではあまり見ない区画だ。

艦橋。狭い。操舵室と艦長室の間に仕切りがあるあたりには戦艦の司令塔の名残を感じる気もするのだが、どうだろうか。

海自DDHの艦橋より低いとは思うが、体感としては問題なさそう。

左ウイングから旗甲板越しに飛行甲板を望む。「ケイン号の反乱」のハルゼーに直訴しようとするシーンを思い出す。

飛行甲板にて、ガイドのおじいさん(紺色の帽子をかぶった人)による、太平洋戦争史のプレゼンテーション。聞いている人たちを連れ出して「あなたルーズベルトね」「あなたマーク・A・ミッチャーね」などと指定して立たせていく。緑の帽子の女性が当時ホーネット艦長のミッチャー、白い帽子の男性がジミー・ドゥーリトルである。というわけで真珠湾攻撃→ドゥーリトル空襲→(スキップして)マリアナ沖海戦を解説。やはりアメリカ人はドゥーリトル空襲が大好きだ。「B-25の翼端が艦橋の3フィート脇をかすめて」「発艦後大きく沈み込んだB-25は、しかし海面上10フィートで浮き上がり」などというたびに隣のご婦人が興奮した声を上げる。ちなみに私はマリアナ沖の日本機動部隊指揮官アドミラル・ディサブロー・オザワ役をした。

ja.wikipedia.org

真珠湾攻撃の発案者もあったオザワは、ここにいる彼と違って身長6フィート30インチと日本人としては大柄で」うるさいわ。アメリカでも映画「連合艦隊」で丹波哲郎が演じた影響が伝わっているのか?妙に持ち上げられている気がする。案内の男性は元陸軍で、娘さんは海兵隊に入って今はペンタゴンで働いているそうだ。ワークライフバランスは大丈夫だろうか。終わった後、「日本はミッドウェーまで強かったね」「今は台湾のこともあってまた大変だね」と言ってもらった。

艦橋から格納庫に降りる際はエレベーターを通る。当時から使われているものだと思う。今は動いていない(当時は登りで使っていたはず)。

格納庫を再び回っていく。サウスダコタ級好きだよねアメリカ人。なんならアイオワ級より好きそう。スケールは1/30くらいありそう。

カタパルトの蓄圧器。ボイラで発生させた蒸気をこれに貯めておく。格納庫左右舷にむき出しで設置されている。

ここにもいた、TBMアヴェンジャー雷撃機

突然、雑に置いてあるマンタ沈底機雷。これ呉にもあったな。展示物に直接説明を貼る豪快さ。

格納庫左舷前部からは、格納庫の天井と飛行甲板の間にあるギャラリーデッキに上がれる。

初代艦長・スタンプ大佐は、戦後太平洋艦隊司令長官・大将まで昇任している。

ゼロ戦艦上爆撃機・彗星。

ギャラリーデッキには艦長室、艦長公室、艦長執務室、司令部公室などがある。艦長室での食事会の様子と司令部公室。

搭乗員待機室、CICもギャラリーデッキにある。

OBA(酸素呼吸器)だ!

格納庫に戻る。テキサスで…テキサン!!

格納庫管制室。

左舷の舷側エレベーター。

左舷の開口部、高さが2mちょっとしかなくてやたら低いんだけど、使いにくかったんじゃないだろうか?このサイズ感だとトム・クルーズも絵にならない。

N3N複葉機です(雑)。

急降下爆撃機SBDドーントレス。太平洋戦争緒戦の苦しい時期を戦い抜き、ミッドウェー海戦で日本空母4隻に致命傷を与えた殊勲の機種だ。

格納庫の一角ではレストア作業中。


無人対潜ヘリQH-50ダッシュ。センサーがない(艦上から目で見て操縦する)ゆえにエンジンにプロペラが付いた姿は前衛的ですらある。

艦尾はフードコート。

武器用エレベータ。

まだ終わらなーい。後編へ続く。