育休日記9日目・3セクにも歴史はありますよ

父が今回の帰省にあたり、スカパーの鉄道チャンネルを探しておいてくれたので、家では長男にそれを見せていることが多い。特にEテレが手薄な昼間の時間帯は助かる。たまに30分間テレビショッピングが流れるのだが。旅番組的なものより、ひたすら電車の走っている映像が流れているようなものの方が、当然長男にはウケがいい。それを見るうち、せっかくこっちにいるのだから信楽高原鐵道でも乗りに行けば、という話になった。

と、いうことで、昨日は朝から車で貴生川駅まで行き、信楽高原鐵道に「乗り鉄」してきた。久しぶりのお出かけなので少し準備に手間取り、駐車場からホームまでベビーカーを押して走る。長男は「うわぁー」と無邪気な歓声をあげている。

信楽高原鐵道(以下SKR)は運賃後払いである。貴生川駅はJRのホームを共有しており、自動改札の窓口横のところを通り抜けて乗る。濃い緑の車両はなかなか高級感がある。窓を覆うスクリーンも障子様のデザインがされており悪くない。子供を座席に座らせると直後に出発した。他の乗客は10名弱といったところ。

まず貴生川から次の駅である紫香楽宮跡(しがらきぐうし)までが長い。一気に登坂し、森の中に入っていく。久しぶりに乗るので忘れていたが、この一区間が15分あり、紫香楽宮跡から終点の信楽までは9分しかない。そしてSKRの名を不幸にも全国区にしてしまった信楽高原鉄道事故もこの区間で起きている。

信楽駅に着くと、「観光協会」と書かれたヘルメットの人たちが何やら立ち回っていたが、2歳の長男を連れて観光などまともにできない。6分後に折り返すので、売店でとりあえずたぬき型の人形焼と小さな焼き物のたぬきを買い(Tシャツを買おうかとも思ったが長男にはまだまだ大きかった)、駅舎からも出ずに再び改札へ。またもや最後の乗車で、運転席の斜め後ろに陣取る。長男がお菓子をせがむので幼児用のえびせんを食べさせながら、Wikipediaで事故を改めて調べてみた。

私はこの時小学生で、数日前に陶芸博を家族で訪れていた。親にSKRに乗りたいとせがみ、帰りだけ祖父と一緒に乗ったのを覚えている。最大で1日2万人が訪れていたというのだから信じられない。もう、この手のイベントが世間を賑わすことも無くなったように感じる。SKRは陶芸博の輸送のために設備投資をした挙句、あの大惨事になったのだから、遺族はもちろんだが誰にとっても辛い話だ。そういえば2018年には台風で長期に亘り運行休止になったりもしていた。

帰りは水口方面を通って帰ってみた。甲賀市はもともと甲賀郡だったが、水口町はその中心だ。かつては東海道の宿場町であり、後には水口藩となる城下町である。街並みは変わってないようで変わっている。TSUTAYAがなくなった気がする。TSUTAYAでも田舎には大事な文化だったのだけど。途中、老舗の和菓子屋で職場に差し入れを送った。

帰宅して昼食後、事前に知らされていた通り伯母2人がやってきた。父の姉たちである。昔は親戚と会っても話題に困ったが、今は長男の話をすればいいので気が楽だ(本人は寝ている)。新生児の服と苺大福、それにプリンをいただいた。後半、市議会議員や市長の話になる。市長は小泉政権農水相を務めた岩永峯一の息子だが、維新出身らしい。正直全然知らなかった。岩永家も信楽の出身で、近年は信楽をルーツとする宗教団体との関係を批判されたりもしているらしい。この宗教団体はそれなりの規模で、さらにその関連団体が運営するMIHO MUSEUMという美術館は会主のコレクションを保管・展示しており私立の美術館としては国内有数のものらしい。これまた全く知らなかった。なるほど、郷土史というのはこういう「こんなところに歴史が」という面白さが魅力なのかもしれない。