育休日記17日目・Eテレ私的レビュー①「お母さんといっしょ」

両親と、30分ほど車でかかる広い運動公園に一緒に行こうという話になったのだが、天候があまりすぐれずお流れに。あきらめが早いともいう。この日に限らず、父は定年後に勤めていた非常勤の仕事をやめてからも、区長代理だの民生委員だので忙しくしている。継母はあまりその点には納得いっていないようだ。結局前日までと同様、午前散歩→午後引きこもりのパターン。

正直書くことがないのでEテレの番組について触れておく。本当にNHKの受信料を払う気にさせてくれるのは、大河ドラマ以上にEテレである(子育て期限定)。日本の子供達の嗜好と生活スケジュールに合わせて作られた番組たちは、年齢による程度の差こそあれ、1歳にならない頃から彼らのハートを鷲掴みにし、最低でも30分はテレビの前に拘束してくれる。そうすると家事ができるのである。特に核家族やワンオペのお母さんには必須と言っていい。以下、その一部を紹介する。

「お母さんといっしょ」…言わずと知れた看板番組。メインは歌(私たちが幼い頃に慣れ親しんだものもあれば新しいものもある)と人形劇。現在の人形劇「ファンターネ」では平原綾香が声の出演でいい女感を出していてちょっとドキっとする。前作「ガラピコぷ〜」では西川貴教が同じく声優をしていたが、歌手枠なんだろうか?おすすめコーナーは「知りたガエルのケケちゃま」。うたのおにいさんが吹き替える「ケケちゃま」がうたのおねえさん、体操のおにいさん、おねえさんとトークをするのだが、おそらく台本がなく、普段と違う自然な会話が斬新。

育休日記15日、16日目

首相動静でいうと「来客なし。終日公邸で過ごす」みたいな二日間であった。長男は朝から外に出たいとせがんでワーゲンの周りをぐるぐる回り、午後はおおむね室内で過ごす。

妻と次男は先日、産院から産後ケア施設に移っている。育休に入った直後に見学したが、部屋は狭いもののスタッフの数が多くてその点は安心感がある。子供も希望する限り預かってくれるそうだ。部屋によって値段は違うが、一泊5万くらい。旅行支援が使えてしまうので、母子合わせてもう少し安くで滞在している。次男は長男より小さく生まれたからか、母乳を飲む量も控え目だ。一卵性双生児でないのだから当たり前だが、長男とのさまざまな違いが印象的である。

育休日記14日目・田舎度の話

今日で育休に入って2週間。5週間の育休期間のうち40%が終わったことになる。早い。まだ子供二人の生活も実質始まっていないというのに。

私から見て母方の祖母、長男から見ると曽祖母のところに長男を連れて行った。私の4人の祖父母の中で、生きているのは一人だけである。祖母は母の生家で今も一人で暮らしており、叔父がよく面倒を見ている。耳が遠い以外はしっかりしている。

祖母の家は私の実家から30分ほど車を走らせたところにある。甲賀からは山を越えたところにある集落で、一応駅から徒歩15分の私の実家と異なり、公共交通機関はほぼ選択肢に入らない。集落内に二車線道路もない。小さい頃、親の車で通った道は、自分で運転してみると怖いくらい狭い。

普段は草津に住んでいる叔父夫婦も来てくれ、2時間ほど滞在した。長男はあまり緊張や人見知りをしないタイプだと思っているが、残念ながら今日は到着早々「こわい」(最近の口癖だが彼がどういう感情をそう表現しているのかはよく分からない。一般的な怖いよりも広い気はする)が出てしまい、あまり活発な長男を見せられなかった。本当はもっとしゃべったり、駆け回ったり、歌ったりするところを見せたかった。次回に期待だ。昔、私や弟が自分の実家に行くのをつまらなさそうにしている時、母が言った「あと何回会えるか分からないんだから、盆と正月くらい顔を見せに行きなさい。10年後に何かあるとして、年2回会っても20回しかないのよ」というのを思い出す。祖父母より先に母が死んだことは皮肉だし、私の弟がこういう時に何度誘っても同行せず、かなり沙汰なしになっているのは気掛かりだが、今度は次男も連れて行きたい。

育休日記13日目・子連れ外食の厳しさ

音楽と並ぶ父のもう一つの趣味が車である。昔はパジェロだのサファリだのRV趣味だったがそこから変遷し、今は数年前に買ったフォルクスワーゲン・ビートルを愛用している。リニューアルではなく、タイプ1である。60年代に西独で生産されたものらしい。エアコンはない、シートベルトはないという趣味としか言いようのない車であり、日常使いは軽トラと軽自動車が別にある。ビートルは走行会やツーリングで活躍しているらしい。

長男は当然のことながら、この魅力的なフォルムが大好きになった。時には1時間ほども車庫でビートルの周りをぐるぐる回っている。先日、妻と離れて泣いている長男を見て、父は走行会に連れて行くことを提案してくれた。

当日の朝。あまり趣旨がわからないまま、私は長男と私の弟を乗せて軽自動車でビートルにくっ付いて出発した。長男をビートルに乗せてやりたいのは山々だが、何せシートベルトもないのではチャイルドシートが付けられない。30分ほどして、あるコンビニにビートルが入っていった。駐車場にはワーゲンバスが停まっている。車を止め、長男を抱いてバスを見せてもらう。100万もしなかったというビートルと違い、ワーゲンバスは何百万もするらしい(いま中古車サイトで見る限り、最低でも300万というところのようだ)。いつの間にか他にも数台のビートルとワーゲンバスが同じ駐車場に集まってきていた。少し離れたところの銀色のオープンカーはポルシェだそうだ。さすがに目の色を変えて長男を運転席に乗せさせてもらう。私はまったく詳しくないのだが……

総勢8台ほどの車列が動き出した。私の軽自動車も恥ずかしながらついていく。繰り返すが、詳細を聞いていないので振り切られたらどこに行くのか分からない。幸い目立つので、派手な車列の最後尾、一際目立つ銀のポルシェを必死で追いかけた。さらに走ること30分弱、車列は何やら公共ホール的な建物についた。クラシックカーたちはその正面に案内されて入っていく。なんの変哲もない軽自動車は裏手の駐車場。なるほど、イベントの展示に集められているらしい。

最終的に分かったことは、某市の「ものづくり展」の賑やかしのために旧車が集められていたということだ。ワーゲンがやたらと集まった一方で、ミゼットやマツダコスモスポーツ(これが分かるのは帰ってきたウルトラマンのMATビハイクルの原型車だからである)、名前の分からない古い国産車もたくさん集まっていた。

「ものづくり展」も覗いた。雑踏対策がかなり厳重で、わざわざホールに一度通してから段階的に入場となっている。実質はバザーといった趣で、手工芸や手作り弁当などが売られていた。長男がおかまいなしに動き回るので、私たちはすぐに退散せざるを得なかったが……

文化芸術会館のまわりで長男を遊ばせたり、車を見ているうちに昼ごはんを食べに行くことになった。近くにある老舗の洋食屋を紹介された。徒歩8分ということで歩いていくことにしたが、これは判断が甘かった。長男はまずベビーカーに乗らない、横断歩道で立ち止まる、神社に寄ると言って聞かない、などで20分ほどかかってしまった。父や弟と違い、私はこの辺の現実を知らないわけではなかったので、予期して車で行くべきだったと思う。

さらにレストランはちょうど満席になったところで、20分ほど待ってもよければ、とのこと。ここで待つ選択をしたのはあまり分の良い賭けではなかったが、長男を外に出させてみたりしてなんとか過ごす。実際は30分くらい待った。

妻といる時からそうだが、幼児を連れての外食は大人だけの場合とはまるで労力が違う。何を食べさせられるかをまず考えなければいけないのみならず、店内の雰囲気(うるさくても大丈夫か)、提供のスピードを考慮しなくてはならない。特に長男は食い意地が張っており、じっとしていられないのでいつぐずり出すかヒヤヒヤして見ている。

この観点からは飲食店の評価がまた違ってくる。この日のレストランは雰囲気は大丈夫だったが提供にかなり時間がかかった。キッズプレートが出てくるまでに長男がベビーフードを食べ終えてしまい、ぐずり出したのでおやつセットからボーロを食べさせたくらいである。ようやく大人のメニューとキッズプレートが同時に来たので、自分のハッシュド牛すじを食べながらキッズプレートのハンバーグを取り分け、アップルジュースを見つからないうちに隠す。味わっている暇などない。長男が自分の分を食べ終えた時にまだ大人のメニューが残っていれば、必ず「それもくれ!」となるのである。

食事を急いだ理由は、父に戻る要件があったからでもあった。展示の最中に引き上げるような予定をなぜ入れたのかと思うが、ここは長男の様子を見て急遽変更したせいかもしれない。そんなわけでレストランを急いで出たのだが、これまた判断ミス。朝、家を出る時以来、長男のオムツを変えていなかったのだ。食前もしくは食後にレストランのトイレで変えさせてもらうのがこの場合正解で、5時間以上付けっぱなしのオムツはついに決壊し、ズボンに漏れてしまった。歩きにくそうな長男(それでもベビーカーには乗らない)を何度か抱き抱え(その度に泣いて嫌がられ)、ようやく会場に戻って帰路に着いたのは午後2時頃であった。

育休日記10〜12日目

昔は出産から1週間くらいは入院させてくれた…と義母は言うが、今は帝王切開でも5泊らしい。少しお願いして6泊させてもらい、7日目の朝に退院することとなった。

長男を両親に預け、新生児用アタッチメントを付けた車で京都に向かう。義母と一緒に30分あまり受付で待った。長男もそうだが、子供といると予定通り行動することが難しい。おむつを変えるとか、着替えさせるとか、授乳とか、すべてに時間がかかる。慣性が大きいとでも言うべきか。

エレベーターで、妻と次男が看護師さんに連れられて降りてきた。次男は生まれた直後は少し目を開けてくれたが、今は起きていても閉じたままのことがほとんどだ。記念写真を撮って、そのまま妻が信頼している助産師さんのところに連れて行った。こじんまりとした産院だが、妻の安心感が一番大事だろう。あと出てくる食事が体に良さそうで美味しい。妻と次男はここで2泊することになっている。

実家に帰ると長男は機嫌良さそうに過ごしていた。本を読み聞かせする。鉄道に関する本を新しく1冊買っておいたのだが、微妙に古いらしく新幹線はN700A九州新幹線の話題までしか載っていなかった。

翌日は両親と長男を連れて妻のいる産院へ行く。長男はおおよそ1週間ぶりに母親に会ったようだが、照れくさそうにしていた。照れくさいという感情は何歳からどのように生まれるものなのだろう。

わたしも妻も新生児の沐浴のやり方をあまり覚えていないので教えてもらうことになったが、空気で膨らませる浴槽にお湯を張って床に置いた途端、長男が止める間も無く片足を突っ込んでしまった。まだまだ信頼してはいけない。

前日に次男の名前を(ようやく)決めたので、区役所に出生届を出しに行こうとしたら、母子手帳をコンビニのコピー機に忘れてしまい、時間がかかりすぎるのでまた後日となってしまった。相変わらず私はそそっかしい。

帰りは妻と離れた途端、長男が大泣きしてやや大変だった。夜もやはり泣いてしまう。ある程度予想したことではあったが、悪いことをしてしまったという気持ちが残った。

翌日は節分。昼間は少し外で遊ばせ、夜は私が鬼のお面を被った。子供に豆を食べさせると誤飲などの事故があるということで、豆まきならぬボーロまきをした。鬼のお面は可愛らしい絵柄だったのだが、私の演技がややホラー寄りだったため、なまはげもかくやという勢いで長男に怖がられてしまった。

育休日記10日目・名前について

この日も特に予定がないので、地元の児童向け野外施設的なものに行こうとしていたのだが、滋賀はまたもや雪がちらついていた。さらに、行きがかり上長男を朝から外で遊ばせたところ、1時間も家に戻ろうとしなかったため、寒さ耐性を使い果たしてしまい、お出かけを断念した。そんなわけでほぼ何もしていない。翌日に予定している、妻と次男の退院に備えた多少の買い出しくらいである。

その次男だが、まだ名前を決めていない。便宜上「2号ちゃん」と呼んでいるのだが流石に可哀想だ。

長男の時、当初の有力案は「いずも」だった。中性的で可愛くもかっこよくもある。しかし、これは私の職業と経歴に大きく由来していることは否定できない。(基本的には)一生ものの名前に、あまりにも親の事情とか、好みとかを入れすぎるのもいかがなものかと思い、これは不採用とした。

長男の名前は最終的に英単語の響きに由来するものになった。これはTwitterで仲良くしていただいている友人の本名に影響されたものだが、オリジナリティがあって由来もわかりやすく(英単語に自分の願いを反映した)、ギリギリでいわゆる「キラキラネーム」になっていないラインだと思っていて、密かに誇りにしている。

次男も同じようにしたいのだが、悩ましいのは漢字だ。画数による姓名判断というやつである。これには苗字と名前を合わせた総格、苗字の最後の漢字と名前の一文字目を足した人格、名前を足した地格などがあり、「大吉」「吉」「凶」などが決まっている。このため、素人でも規則を知っていれば吉凶を占うことができる。

過去の記事から分かる通り、私はこういったものは迷信だとは思っている。しかし、自分や妻の名前を調べてみると、案外悪くない画数にしてあったりする。名前を考えてくれたのは親じゃないかも知れないが、そこには確かに親の愛を感じたのだ。翻って、私の子供たちが自分の名前の画数を調べた時、「凶」がいくつもあったらどう感じるだろうか? そんなわけで、可能な限り自分の思いを込めて、かつあまり変な感じにならない範疇でいい画数にすべく、まだまだ悩んだいるのである。出生届は14日以内に提出しなければならない。

育休日記9日目・3セクにも歴史はありますよ

父が今回の帰省にあたり、スカパーの鉄道チャンネルを探しておいてくれたので、家では長男にそれを見せていることが多い。特にEテレが手薄な昼間の時間帯は助かる。たまに30分間テレビショッピングが流れるのだが。旅番組的なものより、ひたすら電車の走っている映像が流れているようなものの方が、当然長男にはウケがいい。それを見るうち、せっかくこっちにいるのだから信楽高原鐵道でも乗りに行けば、という話になった。

と、いうことで、昨日は朝から車で貴生川駅まで行き、信楽高原鐵道に「乗り鉄」してきた。久しぶりのお出かけなので少し準備に手間取り、駐車場からホームまでベビーカーを押して走る。長男は「うわぁー」と無邪気な歓声をあげている。

信楽高原鐵道(以下SKR)は運賃後払いである。貴生川駅はJRのホームを共有しており、自動改札の窓口横のところを通り抜けて乗る。濃い緑の車両はなかなか高級感がある。窓を覆うスクリーンも障子様のデザインがされており悪くない。子供を座席に座らせると直後に出発した。他の乗客は10名弱といったところ。

まず貴生川から次の駅である紫香楽宮跡(しがらきぐうし)までが長い。一気に登坂し、森の中に入っていく。久しぶりに乗るので忘れていたが、この一区間が15分あり、紫香楽宮跡から終点の信楽までは9分しかない。そしてSKRの名を不幸にも全国区にしてしまった信楽高原鉄道事故もこの区間で起きている。

信楽駅に着くと、「観光協会」と書かれたヘルメットの人たちが何やら立ち回っていたが、2歳の長男を連れて観光などまともにできない。6分後に折り返すので、売店でとりあえずたぬき型の人形焼と小さな焼き物のたぬきを買い(Tシャツを買おうかとも思ったが長男にはまだまだ大きかった)、駅舎からも出ずに再び改札へ。またもや最後の乗車で、運転席の斜め後ろに陣取る。長男がお菓子をせがむので幼児用のえびせんを食べさせながら、Wikipediaで事故を改めて調べてみた。

私はこの時小学生で、数日前に陶芸博を家族で訪れていた。親にSKRに乗りたいとせがみ、帰りだけ祖父と一緒に乗ったのを覚えている。最大で1日2万人が訪れていたというのだから信じられない。もう、この手のイベントが世間を賑わすことも無くなったように感じる。SKRは陶芸博の輸送のために設備投資をした挙句、あの大惨事になったのだから、遺族はもちろんだが誰にとっても辛い話だ。そういえば2018年には台風で長期に亘り運行休止になったりもしていた。

帰りは水口方面を通って帰ってみた。甲賀市はもともと甲賀郡だったが、水口町はその中心だ。かつては東海道の宿場町であり、後には水口藩となる城下町である。街並みは変わってないようで変わっている。TSUTAYAがなくなった気がする。TSUTAYAでも田舎には大事な文化だったのだけど。途中、老舗の和菓子屋で職場に差し入れを送った。

帰宅して昼食後、事前に知らされていた通り伯母2人がやってきた。父の姉たちである。昔は親戚と会っても話題に困ったが、今は長男の話をすればいいので気が楽だ(本人は寝ている)。新生児の服と苺大福、それにプリンをいただいた。後半、市議会議員や市長の話になる。市長は小泉政権農水相を務めた岩永峯一の息子だが、維新出身らしい。正直全然知らなかった。岩永家も信楽の出身で、近年は信楽をルーツとする宗教団体との関係を批判されたりもしているらしい。この宗教団体はそれなりの規模で、さらにその関連団体が運営するMIHO MUSEUMという美術館は会主のコレクションを保管・展示しており私立の美術館としては国内有数のものらしい。これまた全く知らなかった。なるほど、郷土史というのはこういう「こんなところに歴史が」という面白さが魅力なのかもしれない。